僕らは麦だよ


ゴッホ展に行く。雨降り、気温9度。
チケット売り場に並んでいるとおばあさんに声をかけられる。友人が来れなくなりチケットが余ったので差し上げますとの事、お礼を何度も言い場所がわからないという会場まで共に歩くこと5分。おばあさんは傘を預けていた。いざゴッホ。待望の麦畑へ。

午前中でも想像以上の人集り。怖気付くも、目の前に現れるものたちに必死で目を凝らす。
テオへの手紙、農民たち、馬、植物。
油絵の厚み、それによる輝きと力強さ!

薔薇。当時より色あせてしまったとの記載あり。それでも近づけば匂い立ちそうなほど溢れんばかりの薔薇、薔薇!

何よりも、麦畑。本物の、ゴッホが描いた、ゴッホの目に見えていた、麦畑。信じられなかった。液晶画面で何度も見たあの麦畑が、触れる距離にあった。
麦畑とポピー、黄色い麦から顔を出す赤いポピーの美しさ。
「この一週間はずっと小麦畑の中にいて、太陽にさらされながらとにかく仕事をしたよ」とテオへの手紙。

 

じっと見つめていると涙が出てきそう。サン=レミの療養院の庭。苦しいほどの質量。息もできない圧倒的なボリューム感。ゴッホは不幸ではなかった。絵が売れなくても計り知れない孤独の中でも苦しい悔しい生きる希望もない、でも、きっと不幸ではなかった。そう思えるような絵だった。


「 私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く 」


外に出て傘立てを見るとおばあさんの傘は無くなっていた。